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滝藤賢一ロングインタビュー! 「人生は楽しんだもの勝ち。自分の人生を豊かにできるのは自分」

滝藤賢一ロングインタビュー! 「人生は楽しんだもの勝ち。自分の人生を豊かにできるのは自分」

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混乱と制限が続く社会で、多くの人が抱く「僕らの人生、どうなるんだ?」という問い。だが、人生のレールは1本じゃない! それを体現する先輩にロングインタビュー。20代を振り返りながら、試練、悩み、不安を乗り越える極意を聞いた。

  

俳優
滝藤賢一さん

Profile

たきとう・けんいち●1976年11月2日生まれ、愛知県出身。高校卒業後に上京し、1998年に「無名塾」入塾。2007年まで在籍し、舞台を中心に活躍。以降、多くの映画、ドラマなどで幅広い活躍を見せる。2021年8月、映画『孤狼の血 LEVEL2』が公開予定。

高校卒業後、大学も就職もピンとこなかった

「人生の先行きって、見えてたほうがいいのかな。見えてたら面白くないよね? 悲惨な未来だったらどうするの? 僕なんて30代前半までやばいくらいお金がなかったけど、なんとかなってたよ!」

そう言って、ケラケラと笑った滝藤賢一氏。幅広い作品に出演する一方で、ファッションや植物栽培など多彩な趣味を生かし、マルチに活躍。日本のエンターテインメントを唯一無二の存在感で彩る彼が日の目を見たのは32歳のとき。高校卒業後の19歳で役者を志してから、13年後のことだ。


何も考えずに東京へ出てきて、
なんとかなると思って生きてきた。
で、なんとかなったからね(笑)。

「実家は自営業のボタン屋。来る日も来る日もボタンを打ちつける両親の姿を見て、僕には向いてない仕事だなぁ、と思っていましたね。今思えば、最強のボタン屋をめざす人生も面白かったかもな。当時は、家業を継ぐ気はさらさらなくて、とりあえず興味のある映画の世界で活躍したいと漠然と考えていたと思う。北野武監督やタランティーノ監督の作品のように、自分で撮って出演するスタイルに憧れていました。東京に上京して映画の専門学校に入学したものの、授業に出席した回数は数えられるほど(笑)。映画館を渡り歩いて、毎日2〜3本は観てましたね。転機となったのが、19歳のときに初めて撮影に参加した映画『バレット・バレエ』。キャスト・スタッフ問わずに応募したらキャストで採用していただいて。それはうれしかったですよ。でもいざ演じてみたら、地に足がつかず、セリフもまともに言えない。演技の難しさを思い知り、本格的に学びたいと思ったんです」

演技を学ぶ場として選んだのは、仲代達矢さん主宰の俳優養成所「無名塾」。決め手は、役所広司さんを輩出していることと、学費がかからないこと。そこで、31歳までの10年間を過ごす。

「仲代さんからは、『ピアニストは子どもの頃から毎日、何時間も練習する。キミたちはハタチを過ぎて芝居を始めるんだから、3年間くらいは芝居だけに専念しなさい』と、芝居に集中できる環境を与えていただきました。当時つき合っていた彼女とも別れてね。両親は唖然(あぜん)としたと思います。何百万円もかけて東京に送り出し、今度は芝居に専念するために仕送りをせがまれるんですから。でも、応援してくれていましたね。舞台に立たせてもらうようになってからは、毎回欠かさず観に来てくれました」

意地と現実のはざまで苦しみ腐りきっていた時期も

「稽古はとにかく厳しかったですね。一挙一動、ひと言発するごとに、『違う、聞こえない』の繰り返し。これでもか、というほど鼻をへし折られました。それでも投げ出さなかったのは、“ここまで親にしてもらって逃げられない”という気持ちと、何よりも、“俳優として一流になりたい。第一線で活躍したい”と強く願っていたからだと思う。しだいに同期が売れていくと、焦りが募っていきました。嫉妬と悔しさからテレビやスクリーンで人の芝居に文句つけて、グチばかり言ってましたよ。一時期は、どうしようもないくらいに腐りきっていました。10年は、根拠のない自信だけで過ごすには長かった。途中で諦めるのは根性なしだ、って思うでしょう? 本当は、ズルズル続ける人間なんかよりよっぽど強い。僕なんて、30歳を過ぎたのに売れる見込みはなし。その状況で、次に進む勇気が出せないどころか、まだなんとかなるかもしれないもんなぁ、なんて思ってましたから。自分に甘いにもほどがある(笑)」

途中で諦められる人が
本当は一番、強い。次へ進む
勇気があるんだもん。

無名塾での活動が10年目に突入した2007年、ついに、その後の人生を変えるオーディションの知らせが舞い込む。作品は、映画『クライマーズ・ハイ』。以前から大ファンだった原田眞人監督の名を見て、「絶対に役をつかみたい」と意気込んだそう。

「まったくの無名だったのに、まさかの大役に抜てきしていただいて。アルバイトの休憩中に合格の連絡を受けて、思わず“マジですか!?”って叫んでいました。これこそ、ひたすら我慢して待ち続けたチャンスだと確信。10年という節目もいいタイミングだな、と退塾を決めました。ただ、辞めるのは恐ろしかったですよ。塾員でいるうちは守られていますから。仕事に困ることもなく、旅公演に行けば一定の収入が得られますし」

真面目は自分の長所。でも、もう少し遊んでもよかったな

人生を占ってもらった際の診断は「20代は苦労したが大器晩成型」。20代のぶんまで遊びつくすのが、今後の楽しみだと言う。

「自分で望んで選択したことだけど、一番多感な20代に芝居しかしていなかった。遊んでいる役者さんは、色気があるんですよ。それに、20代の頃は地元の友達がうらやましかったなぁ。連日のように飲んで、女の子とデートして。いいな、とは思いながらも、芝居にまい進してました。意外と真面目なんですよ(笑)。今考えると、芝居に夢中だったんだと思う。親からの仕送りは生活費に充てて、アルバイト代はすべて自分に投資してた。ダンスレッスンやワークショップなど、芝居の糧になりそうなことは手当たり次第学んでいましたね。すべて、チャンスが訪れたときのための準備。それらが生きているかはわからないけど、していなかったら今の環境はないとも思う」


まさに“先行き不透明”な20代を駆け抜けてきた滝藤氏。それでも、「人生の先行きが見えたとしても、それが楽しくなかったら意味がないと思うんだよ」と断言する。

「すべての人が、僕のようにあえて苦しい道を選択したほうがいいとはまったく思いません。日々を楽しく笑って過ごせるなら、それに越したことはないですよ。ただ、もし今がつらくても、いつか絶対にいいことがある! 腐りきっていた僕が言うんだから間違いありません(笑)。この時代に改めて感じるのは、人間いつ死ぬかわからないんだし、楽しめるときに楽しんだ者勝ちってことです。仕事が好きなら仕事に生きるでもいいし、夢中になれる趣味があるなら、そのために仕事をするのもいい。楽しむ方法は人それぞれ違い、それは教えてもらったり、与えられたりするものじゃない。自分で探すから、未来につながる。自分の人生を豊かにできるのは、誰でもない、自分だと思いますよ」

  

Photos:Takahiro Idenoshita Hair & Make-up:Uta Nasuno Composition & Text:Ayano Nakanishi

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