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ジル・サンダーが「ジル・サンダー」に復帰ってイマイチよくわからないので本誌7月号掲載「知って得する世界のファッションNEWS」を参考に「ジル・サンダー」の数奇な運命を憂いつつムネアツなトランプ遊び女子に萌えつつまとめてみました。

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人には黒歴史なるものが1つや2つあるものです。

心うららかな高校時代に「ノルウェイの森」(著:村上春樹/刊行:1987年/発行:講談社)なんかを読んじゃって、カンタンに感化されちゃって憧れて、その物語の舞台となった男子寮を探して大学入学を機に心ウキウキ上京入寮するなんぞ、黒も黒過ぎてエディ・スリマンも真っ黒。

その後、一度きりの貴重な青春を男400人と一緒に風呂トイレ食事共同で過ごし、なぜか大学生なのに詰襟学ランを着用して祭事にはグラウンド中に響き渡る大声で自己紹介(いまだに意味不明)して、挙句に近場の女子寮との合ハイ(合同ハイキング)なんぞにうつつをぬかしていたという、ファッションとはついぞ程遠い、極めて時代錯誤な学生生活のよしなしごとをそこはかとなく記憶の檻(おり)から拭い去りたい衝動に駆られている午前3時のweb担H條です。

海の向こうでは本日から2013年春夏ミラノ・メンズコレクションが始まりますが、メンズノンノ編集部ではI佐編集長が現地に取材出張しております。

ボスがいないとちょっぴりさみしいですが、毎度ミラノメンズ初日には、「JIL SANDER」(ジル・サンダー)がランウェイを行なっているわけなんですね。

日本時間6月23日(土)17時にはランウェイ生中継も行なわれるので、詳細は本日アップの記事( https://archive.mensnonno.jp/news/?p=10141 )をチェックしてください。

その、「ジル・サンダー」ですが、今春夏は、なんと、「ジル・サンダーが『ジル・サンダー』に復帰」という、よくわかんない事態になっているらしいのです。

そこで本誌7月号P.170~175掲載「2012年上半期をオシャレ目線でチョイス!知って得する世界のファッションNEWS」を参考に、「ジル・サンダー」の数奇な運命を憂いつつ、「果たしてこの特集の“2012年下半期”はやらせていただけるのかッ!!??」という個人的大問題は置いといて、とりあえずわかりやすくまとめてみました。

とどのつまりは結局、「ジル・サンダーが『ジル・サンダー』に再々就任」というややこしい問題は、自分の名前を冠にしたシグニチャーブランドというビジネスは、デザイナー兼創業者がブランドを去ってもそのブランド名は残るために起こる言葉遊びのようなものなのですね。

ファッションブランド「ジル・サンダー」は1968年、ドイツ・ハンブルグで創業。1973年にパリコレ進出し、1985年にミラノコレに拠点を移してしばらくはレディスで名を馳せることになります。メンズは1997-98年秋冬にスタート。当時の日本は「PRADA」(プラダ)などインポートブランド全盛期で、待望の「ジル・サンダー」メンズでも「PUMA」(プーマ)コラボのスニーカーやゴッツイ綿素材のバルキープルオーバーなどが飛ぶように売れたのですた。

しかし、1999年、プラダが「ジル・サンダー」の株式全体の75%を取得しプラダ系列ブランドとなり、2000年1月、創業者ジル・サンダー(Heidemarie Jiline Sander/1943年11月27日生)が「1度目の辞任」をしてしまいます。

その後、2001-02年秋冬シーズンより、クリエイティブ・ディレクターにパリの有名セレクトショップ「コレット」のクリエイティブ・ディレクター兼バイヤーだったミラン・ヴィクミロヴィッチ(昨年まで「トラサルディ」デザイナー)が就任し5シーズン。

2003年5月、ミラン・ヴィクミロヴィッチの契約が満了(2003-04年秋冬まで)し、「ジル・サンダー」創業者らの経営陣復帰にともない、ジル・サンダーも「再就任」して、2004年春夏シーズンより再びデザインを手掛けます。が、2004年11月の2005年春夏シーズンを最後に「再び辞任」。

ここで「あれ?」って思いますよね普通。

そして、直近までの為政者たるラフ・シモンズが、2005年5月(2006-07年秋冬)にクリエイティブ・ディレクターに就任。2006年2月、イギリスの投資会社Change Capital Partners (CCP)にブランドが売却され「ジル・サンダー」がプラダ系列の手を離れますが、2年後の2008年9月、日本のオンワードホールディングスにより買収され、現在、ジル・サンダーは日本のモノになっています(って、単純に言いすぎ)。

そして2012年2月24日、ラフによる長期政権は13シーズンで終幕し、ジル・サンダー グループが同ポストに創業デザイナーであるジル・サンダーの復帰を宣言。ジル・サンダー女史が「再々就任」とあいなったわけです。

そう、「ジル・サンダー」ほど、デザイナーのジル・サンダーほど、ファッション業界の荒波に飲まれ数奇な運命を辿っているブランド(人)も少ないのではないでしょうか。しかし、ブランドが消滅しないのは、価値があるからに他ならないわけで。

そしてまた、「ジル・サンダー」に関わったラフ・シモンズとミラン・ヴィクミロヴィッチの去就にも注目すると、ラフは前出の通り。一方のミランは、「ジル・サンダー」の後、「トラサルディ」(2008-09年秋冬から2011-12年秋冬まで)デザイナーに就任していました。その「トラサルディ」も、2011-12年秋冬を最後にミランはメゾンを去り、2012年春夏よりウミット・ベナンが就任し手掛けているという。

なんて面白いファッション業界人事。いや、そんなに面白くもないですよね、服でもないこんな事象に興味はないですよねスミマセン。

ブログでつらつら書き綴らせていただく程度でよろしくオネシャス。

というわけで、ラフ・シモンズが手掛けた最後のシーズンは、涙のランウェイとなった2012年春夏ミラノ・レディスコレクションと思われていますが、実はもう1つあり、広告ビジュアルなどでリリースされた、2012-13年秋冬プレフォール(Pre-Fall/秋の前)コレクション(これもレディスね)が正真正銘のラスト・コレクションとなります。

女子寮のようなとこでトランプして遊んでる、可憐な「ジル・サンダー」流プレッピー女子に萌えまくり。こんなキュートな女学生と合ハイできていたならば、僕の人生もエクスクルーシブに変わったことでしょう。

ここはいっそ、ダイブしたい思いをグッとこらえて値段チェック(まさか着る気か!?)からの、「SPUR」(シュプール)最新号をチェックすると、グリーンの丸首カーディガンは、ににに、24万4,650えんナリ……。

まさしく、ラフが残した青春の勿忘草(わすれなぐさ)に、ワタクシ、後ろ髪を引かれる想いであります。

Text by Takafumi Hojoh

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