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「流され続けてきて、今までも今もずっと、最高に楽しいです」30年来の仲のマユリカの現在地とは?

「流され続けてきて、今までも今もずっと、最高に楽しいです」30年来の仲のマユリカの現在地とは?

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人気芸人の生き様に人生のヒントを探す、不定期連載企画。第三弾はいま最も勢いのある、マユリカにインタビュー。Podcast番組の公式グッズとして男性芸人初となる水着写真集『Perfect!!』を販売したところ、2,700冊が即完売。今年4月には大阪から東京に拠点を移し、活動の幅をますます広げているコンビだ。

マユリカのプロフィールはコチラ!

お笑い芸人マユリカのオフィシャルプロフィール写真

マユリカ

写真左:阪本匠伍(さかもと しょうご/1990年01月07日生まれ、兵庫県出身)
写真右:中谷祐太(なかたに ゆうた/1989年10月23日生まれ、兵庫県出身)

近所で生まれ育った幼馴染として交友関係を続け、大学1年生のときに阪本さんが中谷さんを誘いコンビを結成。2010年にそろってNSC大阪校へ入学。阪本さんは”ジンジャーエール阪本”名義でバンド『ジュースごくごく倶楽部』のメンバーとして活動。中谷さんは漫画家&イラストレーターのほか、芸人アイドルグループ「ZiDol」としても活動する。Podcast番組『マユリカのうなげろりん!!』の公式グッズとしてビキニ写真集『Perfect!!』を販売したところ、2,700冊が即完売に。配信100回を記念して再販中。

3歳から毎日のように遊んでいたという幼馴染の二人は、そろって大学を中退しNSCに入学。芸人活動と並行して阪本さんはバンド活動を、中谷さんはマンガ家&イラストレーターに加えてアイドル活動を行なうなど、仲の良さも多才さも芸人界ダントツと言えるだろう。

前編では、結成12年目を迎えた今も絶えぬバイタリティの秘訣を探るべく、学生時代の思い出や、芸人を目指したきっかけ、劇場になかなか入れなかった時代など、二人のキャリアを振り返ってもらった。


【インタビュー】
マユリカのふたりが語る
これまでの道のりとは?

芸人「マユリカ」インタビュー2

3歳からの仲で
ずっと一緒が当たり前の関係

お二人は3歳からの幼馴染だそうですね!

中谷 実家も近所やったんで、よく一緒に遊んでました。お互いの家に電話かけて野球に誘ったり、ドッヂボールとかフリスビー、ミニ四駆もしてましたね。

ご家族同士で交流があったのでしょうか。

中谷 いや、親はそれほどでも。

阪本 僕が中谷のお父さんにご飯に連れて行ってもらったり、僕のお父さんが中谷を連れてご飯に行ったりはしてましたけど。

それぞれ別の大学に進学するまでは、どのような関係でしたか?

阪本 幼稚園、小学校までは一緒の学校で、中谷が中学受験したのを機に別々の学校になりましたね。それからもずっと連絡は取り合ってました。

中谷 土日とか、夏休みとか。

阪本 こいつが変な学校に通っとって、平日は帰ってくるのが遅いんで遊べなかったんですよ。

中谷 片道2時間くらいかかるような場所にあったんですよ、中学が。

阪本 3歳から毎日遊んどったんで、一緒におって当然のような関係でしたね。

中学で離れ離れになったときは、寂しかったのでは。

阪本 そんな覚えはないですね。

中谷 ははははは。僕は環境が変わることに対して寂しさがあったかもしれません。全員と離れるから。

阪本 (小学校の同級生の)8割はみんな同じ学校に進学したんで。僕の場合、さほど寂しくはなかったですね。

―高校を卒業後、中谷さんは神戸芸術工科大学へ、阪本さんは神戸学院大学へ進学されましたね。進学を決めた理由は?

阪本 流されるままに…エスカレーターだったんで。中学で勉強しなさすぎて、ギリギリここなら、という私立の高校に入学したんですよ。そこが大学まで行ける学校やったから、なんとなーく入った感じですね。

中谷 僕の高校は進学校やったんですけど、マンガばっかり描いとって、ほんまに勉強してなくて。AO入試で入れそうなところを探して、作品持って行ったら受かったからなんとなく入りました。家からも近いし。

芸人「マユリカ」インタビュー3

大学1年生の時に、阪本さんが中谷さんを誘ってコンビを結成したとか。芸人になろうと思ったきっかけを教えてください。

阪本 高校のクラスメイトで、お笑いめっちゃ好きだったやつがおって。結局そいつは僕らより1年早くNSCに入るんですけど、そいつと仲良くなって、授業中に大喜利を考えて送り合ったり、休みの日に公民館借りてみんなで大喜利やったりして。もともとお笑いはずっと観てたんですけど、やる側の意識が出たのはその時でしたね。

そのかたとコンビを組もうとは思わなかった?

阪本 一瞬、僕の取り合いになったんですよ。

中谷 はははは。

阪本 組もうやって誘われたけど、こっち(中谷さん)ともそういうことやっとったし。どっちにすんねん、みたいな時期が一瞬ありましたね。

中谷 阪本が僕とそいつのどっちともインディーズライブに出てた時期がありましたね、大学生のとき。めっちゃ暇やから、めっちゃ遊んでたんですよ。夜の公園とかでただただ喋る、みたいなことをずっとやってて。そのノリで、「M-1とか出てみいひん?」みたいな。

阪本 出てないですけどね。

中谷 その時はM-1は出てないですけど(笑)。小学校の頃にお楽しみ会でコントの真似事やったときのこと振り返りながら、「今やったら、もっとちゃんとしたのができるんかもな?」「そうやな」みたいな会話してたのを覚えてます。


青春ですね…! 最終的に、中谷さんとコンビを組もうと決めた理由は?

阪本 そいつが信じられへんくらい暗いやつやったんですよ。

中谷 ふははははは。

阪本 僕より暗い、どないすんねんってくらい暗くて。しかもお笑いが好きすぎて尖ってるというか…友達と喋ってても「今ので笑うんや」みたいなこと言ったり。そういう感じやから居心地がよくなかった。最終、居心地の良さで選んだ気がします。おもろいのは絶対にそっちでしたけど。

中谷 なんでそんなこと言うねん。ええやろ、総合点で。

ちなみに現在、その方は芸人として活動していますか?

阪本 へべれけっていうコンビでやってたんですけど、もうやめましたね。

中谷さんと組んで正解でしたね。

阪本 いや、あいつとやったらもっと売れてたかも…

中谷 おい! あんな暗いやつと二人で売れるか!

阪本 お互いに大喜利が好きでネタを出し合ってたから、ぶつかることも多くて。ネタができるまでに時間がかかったんですよね。(中谷さんを指差して)こいつは何でもいいんで。

中谷 ネタのこととかわからへんから、僕は。

阪本さんから本格的な誘いを受けたときの印象を教えてください。

中谷 ちょうど大学卒業したらどうしよう、漫画描くために東京行くか就職するかって考えてた時期だったんですよ。ミーハーやから、(芸人になったら)テレビとか出れるかも、芸能人と会えるかも、っていう楽しさに飛びつきました。

お二人とも大学を中退していますが、理由は芸人になるためですか?

阪本中谷 (声を合わせて)そうです。

中谷 僕は嫌やって言ってたんですけど、「どうせ勉強も身にならへんねんから、行ってもしゃーないやろ」ってむちゃくちゃ説得されて。でも大学で友達がいっぱいできてたから嫌やったんですよ。まあ、根負けするかたちで中退しましたが。結果的には、辞めてほんまによかったですね。(NSCとの)ダブルスクールとか絶対無理やったと思うし。

大学を中退するという決断に対して、ご家族はどんな反応でしたか?

阪本 僕らは妹が割と出来が良くて。

中谷 そうなんですよ。

阪本 僕の妹は国立大学を出て獣医になってるんです。それに比べて、(自分は)将来性のある大学ではなかったんで。国立とかやったら止められてたと思いますけど。「好きにしい」みたいな。ただ、「大学行きながらじゃあかんの?」とは言ってましたね。

中谷 僕の妹も特待生になるような、ちゃんとしてる子やったから。「勝手にしたら」という感じでしたね(笑)。

“マユリカ”に決まって
良かったです

芸人「マユリカ」インタビュー4 阪本匠伍さん

妹さんのお名前がコンビ名の由来になっているのには、そんな背景もあったのですね。ちなみに当時は“いぶき“というコンビ名で活動していたかと思いますが、その由来は?

阪本 僕らの地元が井吹台っていうんです。

中谷 ハライチさん的な。

なぜ変えたのですか?

阪本 いぶきで活動しても結果が出ず、結局NSC行かなあかんとなり、入るタイミングで心機一転、変えた感じですね。

中谷 二人の共通点を探してて、妹がおるな、で一個目に出たのがマユリカやった。

阪本 いや他の候補もあったよ。“枕少年”とか。

中谷 阪本は“枕少年”と“かさぶたネットワーク”を挙げてたけど、僕はしっくりきてなくて。共通点から探そうかってなって出たのがマユリカ。語感ええやん!ってその瞬間に決まりました。

“枕少年”と“かさぶたネットワーク”は、どうやって思いついたのですか?

阪本 まあ、響きですね。

中谷 マユリカに決まってよかったです。

NSCに入学する1年前から、吉本のオーディションライブを受け続けていたそうですね。当時を振り返って、何が敗因だったのでしょうか。

中谷 初舞台がそれやったんですよ。経験もないなか、何にもわからずに出てた状態で。そら受からへんやろって感じですね。今思えば。

阪本 僕らただのテレビっ子だったんで、舞台とかも見たことなかったですし。そこそこウケたりもしましたけどね。素人だからトップバッターに回されることがほとんどで。トップバッターでウケても合格とまではいかないんですよ。

中谷 よっぽどウケないとね。


NSCに入った時、どんな印象を受けましたか?

中谷 こんなにおんねや!と思いました。

阪本 大阪だけで500人。まあ、いけるって思ってましたけどね。一番尖ってた時期なんで。

中谷 はははは。根拠のない自信だけはあったね。二人で校内歩きながら「500人おっても、そんなおもろいやつがポンポンおるわけないやろ」と。

阪本 レベルによってクラスを分けられるんですよ。Aは数組、Bは20組、Cはその他大勢という感じで。僕らはBやったけど、はあ?Aちゃうんや?と。

中谷 そうそう不服。

阪本 そこでね、彼が悪口言うんですよ。Aのあいつらなんか全然おもろないやろ、あいつらがAやったら俺らもAやろ、と…

中谷 いやいや(笑)、二人で言ったんやろ! ネタ考えてないやつが言うわけないやん。

在学中、挫折しそうになったことはありましたか?

阪本 挫折…いや、とくにないかなあ。

中谷 劇場に入るタイミングが、今残ってる中だとビスケットブラザーズと僕らだけちょっと遅かったんですよ。なかなか入れなかった。まあ挫折とまではいかないですけど。

阪本 それでも、みんなわかってへんなあって思ってました。理解できへんねや、って。そんなこと言ってましたね。

そのメンタルの強さは、どうやって培われたのでしょう?

阪本 単純に、劇場入れてない時期も全く辛くなかったんですよ。ビスブラ(ビスケットブラザーズ)も一緒やし、バイトして毎日遊んで。

中谷 要するに全員同じ境遇で、惨めな思いしてないから。

阪本 入れてるやつがすごい、っていう感覚で。

中谷 まあまあ俺らもそのうちな、と。入ってるやつらも大金持ちになれてるわけじゃないし、バイトもしてるし。

芸人として生きる心構えは、いつ頃から抱いていましたか?

阪本 心構え…NSCに入る時じゃないですかね。

中谷 そうですね。大学辞めてきてるし。初めての一人暮らしも始めてね。同じアパートの1階と2階の、上下斜めで。

芸人として手応えを感じた瞬間はありましたか?

阪本 手応えは、今も全くないですけど…

中谷 はははは。まあ劇場にやっと入って、メンバーとして毎月舞台に出させてもらえるようになった時ですかね。それまではお金も出ないインディーズライブとかばっか出てたんで。初めて「仕事なんや」と思えた。

こんなやつやったんやと
メッキがはがれた

芸人「マユリカ」インタビュー5 中谷祐太さん

幼馴染という関係からコンビになってお仕事をしていく上で、関係の変化や悩みなどはありましたか?

阪本 あります。これはね、ぜひ太文字にしていただきたいんですけど…

中谷 はははは。ええわ。

阪本 (中谷さんは)小学校まではむちゃくちゃしっかりしてて、みんなを引っ張ってくタイプだったんですよ。でも今は何にもしないんですよ。責任感もないし、「何でもええで」と。「阪本ネタ書いてくれてるし俺これやるわ」もなく。こんなやつやったんや、とびっくりしました。メッキが剥がれたというか。

中谷 まあまあ、そうですね。一緒に何かを頑張るって、学生時代にやったことがなかったから。僕は基本的にラクしたいというのが一番にあって、そういうところがバレた感じですね。ドッヂボール大会とかは別に仕事じゃないから。みんなで楽しみたいとか、女子にカッコつけたいとか、そんな気持ちで仕切ってた程度です。

阪本さんの堪忍袋の尾が切れることはないのでしょうか。

阪本 尾なんてブチブチ切れてますよ。その度に言いますよ、正直に。ただ3歳からの知り合いなんで、他のコンビと違って、言っても変な感じにならんというか。

中谷 細かいことが気になっても、普通のコンビやったら言わないと思うんですよ。そこは得かもしれないです。

阪本 やれや!って言ってるんですけどね。

中谷 ははははは、ごめんごめん。


謹慎処分といえば、中谷さんの遅刻が原因だったとか。それについて中谷さんのお気持ちは…?

中谷 はははは。まあ2度としてはいけないとは思っています。(謹慎処分を)受けた時は意味がわからなかったですけど。聞いたことがないぞ、この時代にそんなことがあるんか?と。

どれくらい遅刻したのでしょう。

中谷 細かい遅刻が3〜4回くらいあって、次やったら仕事無くすよと言われた次の日に、まあ、6時間ほど…

阪本 6時間です。怒られた次の日に6時間。

中谷 はい、寝坊しました。言い訳もできへんから知らんかったことにしようと思い、とりあえず携帯の電源を切ったんですよ。

阪本 そうしたら周りが「中谷と連絡取れへん、家で死んでるんちゃうかな」と、話が大きくなって。

中谷 おおごとになってるのを知らずに、まあ大丈夫やろと踏んで、後日「すんませーん!」って挨拶に行ったら「とりあえず一旦、仕事止めます」と言われました。

阪本 しかもそれが初めてM-1準決勝の敗者復活戦まで行って、さあこっから仕事増えるっていう最悪のタイミングやったんですよ。やっともうバイトせんでも食べれるんちゃうかっていう時で…これ以上言ったら死ぬんちゃうかってくらい怒りました。

中谷 致死量ギリギリでした。まあしょうがないです。はい。

芸人「マユリカ」インタビュー6

それを機に、心を入れ替えた?

中谷 いや、まあ…

阪本 謹慎処分明けの二ヶ月後にも舞台に穴あけて、本社まで謝りに行きました。二度とすなよの二ヶ月後ですよ。

中谷 この話になると毎回きれいに流れができるんですよね…

阪本 しかもその後、ハイヒールさんが漫才してる裏で喫煙して大問題になって。

中谷 もう、やめてくれ…。そこからは本当に心を入れ替えました。もう何もないです。はい、別の話題に行きましょう!

ちなみに、アルバイトはいつ頃に辞めましたか?

阪本 いつやったかな。僕ら、バイトせなあかんような収入の時からしてなかったんですよ。

中谷 しんどいから。ちょっと親に貸してもらったり…

阪本 雀の涙みたいな給料でパチンコに行って増やしたりとか。明確に、ここから食えるようになった!って言うのは難しい。

中谷 お金がないから辛い、みたいな感情もなかったですね。お金がなさすぎて何も買われへんから、パスタを茹でて調味料だけで味付けする“素パスタ”を食べたりとかはしてたけど…あと、交通費がなかったり。

阪本 だからといって芸人が辛いとはならなかったですね。


それ以上に楽しさがあったからですかね?

阪本 そうやと思います。楽しい。

中谷 ここまできたら、それ以外できへんやろなとも思いますし。辞めて何すんの?って。

阪本 僕らだけ貧乏で周りの芸人が金持ちやったら辞めてたかもしれないですけど、みんな貧乏やったし、同じ境遇やったから。

   

誰も聞いてないやろと思って
ダベっていた「うなげろりん」

2021年7月よりスタートしたPodcast番組「マユリカのうなげろりん!!」が大人気ですね。立ち上げたきっかけは、担当していたラジオ番組のスポンサーがつかず、年4回に縮小されたからだとか。

中谷 ラジオ局から、「もう無理なんで3ヶ月に1回の放送にします」と言われて。そうしたら「何でそんなことすんねん」というお便りを沢山いただき、局が立ち上げてくれたんです。

阪本 「ぜひPodcastをやって欲しい」と言ってもらった時も、なんやPodcastって?という感じで全然知らなくて。誰も聞いてないやろ、と思いながらずっと二人でダベってました。

中谷 ここ最近でめっちゃ増えて地上波のPodcastとかも出てきたけど、当時は全然なかったし、何のこっちゃらわからんかった。

YouTubeをやらなかったのはどうしてですか?

阪本 絶対にやろうな、とずっと話してたんですよ。YouTubeなんてやらないメリットがないんやから、絶対にやろうな!と。でも、やらないんですよ。

中谷 二人とも面倒くさがりやから(笑)。やった方がええよな、うん、やろやろ!って言いながら…

阪本 ずっとやらずにここまできてしまった。

中谷 大変じゃないですか、色々と。企画とか、撮影とか、編集とか…。

Podcastは立ち上げてもらったからできたんですね。

阪本 ほんまに恩人です。頭が上がらないです。

ロングコートダディ、見取り図のYouTubeに出演したのを機に、知名度が急上昇したとおっしゃっていましたね。お二人は先輩芸人や芸人仲間などからとても愛されている印象があるのですが、その実感はありますか?

阪本 ほんまに愛されてるなと思います。

中谷 いやいや(笑)。まあ愛されてるというか、めっちゃ声かけてもらえるな、とは思います。ありがたいですね。

芸人「マユリカ」インタビュー7

愛される理由を、ご自身でどう分析されていますか?

阪本 それ、むっちゃ考えたことがあるんですよ。でね、僕も後輩で賞レース棄権になってたり謹慎処分になってるやつおったら、声かけますわ。

中谷 まあまあまあ。なるほど。

阪本 あいつらまたあんなことなってんの?と。

中谷 半笑いで話聞きたいですもんね。

阪本 そんな感じやと思いますよ。

昨年は男性芸人として初めてビキニ写真集を出版。2,700冊が即完売し、大きな話題になりましたね。

中谷 ラジオ番組の資金を集めるために、グッズを作って売ろうということになって。放送中に相方がビキニ写真集を提案したら、それを聴いていた出版社の方が手伝いますと言ってくださり、あれよあれよという形で実際に販売することになりました。


売れすぎて、逆に恥ずかしかったとか。

阪本 そうなんですよ。10冊しか売れませんでした、というパターンを想定してたんですけど、こんなに売れてもうて。

中谷 プロが関わってくださったことで形になりすぎてしまって。番組の資金集めという面では、嬉しい結果でしたけどね。

阪本 もっとキモいもんやと想像してたんですけど、意外と見れるんですよね。自分で言うのも変ですが。

中谷 カメラマンさんの腕がすごいんで(笑)。

阪本 出版社で働いている方が、僕らの股間の黒ずみとか毛も消してくれて。

中谷 1週間くらい寝ずに作業してくださったみたいです。彼らの努力のおかげですね。

そんな話題もあり、今もっとも勢いがあると言われるお二人ですが、その実感はありますか?

中谷 お客さんと直接触れ合う機会がそんなにないので、劇的に変わったことはないです。Podcastの数字でこれだけ聴かれてます、とか、チケットこれだけ売れました、とかはあるんですけど。実感としてはそれほど…

阪本 ただ、銭湯でタトゥーまみれのお兄さんにラジオ聴いてますと言われたり、そういうことがちょくちょくあって嬉しいですね。

中谷 そうだね。仕事の現場でもスタッフさんとかにそう言ってもらえることが増えた。ありがたいですね。

    

流されつづけた結果、
大きな転機がいくつも

芸人になってからも、中谷さんは漫画家としての活動を続け、阪本さんはバンド活動をスタート。多彩なところもお二人の魅力だと感じます。

阪本 悪く言えば流されてるだけというか…

中谷 ははは、悪いなあ。インタビューでそんな回答聞いたことないって。

阪本 僕の場合は活動の幅を広げたいとかっていう意識はなくて、単純に仲の良い先輩に誘われてやってみたら楽しくて続けてるだけですね。

中谷 僕も一緒ですね。僕は流されてお笑いやってますしね。そこは流されてよかったなと思ってます。

今年3月をもってよしもと漫才劇場を卒業し、東京所属に。この転機はどのように決めましたか?

阪本 えー…周りに言われたからですね。

中谷 すんません。全部、流されてまして(笑)。僕に至っては流されたこいつ(阪本さん)に流されてますからね。はい。

阪本 いろんな先輩から「行くんやったら絶対今年や」と言われて、それまで全く考えてなかったけど、そうなんや、と。中谷呼び出して、どう思う?って聞いたら「俺はどっちでも!」と、まあいつも通りの反応。それから色んな人に相談してみて、やっぱり行った方がいいと思うんやけど、と中谷に伝えたら「わかった!」で決まりました。

中谷 はははは。まあ芸人のルートとしてあり得ないことではないんで。「アメリカ住みます芸人やらへん?」って言われたら、はあ!?ってなったかもしれないですけど。

芸人「マユリカ」インタビュー8

流れに身を任せることも大切なんですね。メンズノンノの読者に向けて、将来についての考え方などでアドバイスがあれば…!

阪本 アドバイス…

中谷 ははははは、ないなあ!

後輩芸人から相談を受けることは?

中谷 ないです! してもしゃーないと思われてるんでしょうね(笑)。

阪本 僕もないですね。

若いうちにこれはしておいた方がいいよ、ということは?

中谷 旅行ですね。後悔してることで言えば僕、海外旅行したことがなくて。相方はあるんですよ。仕事を始めると行けないんで、行っておいたほうがいいと思います。海外ロケとかが無い限り、もう行けないですもん。

阪本 うーん…運転免許を取ること。大学時代にみんなが取ってたタイミングを逃してもうて。今取ろうと思ってもしんどいし、時間もないし。でもこのまま運転せんと死んでくのむっちゃ嫌なんですよ。

中谷 似てますね、僕も海外行かんと死ぬの嫌なんです。

阪本 あと勉強ですね。僕、都道府県がわからんくて。明日宮崎で営業ですって言われても、どこなんやろ?と。遠いのか近いのかすらもわからん。

中谷 富士山行ったときのことも、「こないだ新潟行ったよな」って言ってましたからね。

阪本 日本地図を覚え直そうとしたこともあったんですけど、やっぱ学生の頃の柔らかい頭じゃないから入っていかないんですよね。今から勉強するのもおかしいし…

中谷 おかしくはないやろ(笑)。そういう人もいっぱいおるし。

阪本 勉強せなあかん環境でしといた方がいいですよ。絶対。


海外旅行、運転免許、勉強。そして流されること、ですね。

中谷 僕は大学も流されて行ってるんで、確固たる意志を持ってやってきたことって何一つないんですよ。ただの能天気なんです。何とかなるやろって思ってきたら、たまたま何とかなった。

阪本 赤裸々すぎてニーズに合ってないかもしれん。

中谷 読んだ人もびっくりしてるでしょうね。

阪本 僕ももちろん、芸人になりたいはなりたかったですけど…中学までは地元で、こいつ含めて悪いやつが一人もいなかったんですよ。ええ環境で。ただ勉強しなさすぎたばかりに大阪中のアホが集まってくるような学校に入って、初めてヤンキーやらギャルやらと触れ合って、全く合わなかったんですよ。お笑いを目指したのには、そいつらから離れたいという思いもあった。

中谷 マジで嫌そうでしたからね。「行きたないわ学校」ってずっと言っとった。

阪本 その時代と比べたら最高に楽しいです。今までも今も、ずっと。

東京進出後、初の単独公演を開催!

「古民家 マユリカ〜古き良きならあの頃の〜」
場所:ルミネTHEよしもと
日時:7/19(水)19:00開場 19:30~20:30開演
価格:配信 1500円/前売り 3000円/当日 3500円
詳細はこちら

Photos:Sakai De Jun Hair & Make-up:Katsuyoshi Kojima[TRON] Stylist:So Matsukawa Text:Ayano Nakanishi

[左/阪本さん]
スーツ(カルーゾ フォー ユナイテッドアローズ&サンズ)¥286,000/ユナイテッドアローズ&サンズ [03-5413-5102] タイ ¥4,400/サファリ 2号店[03-3316-5766] 靴(トリッカーズ フォー メイデンズショップ)¥57,200/メイデンズショップ[03-5410-6686]その他/スタイリスト私物

[右/中谷さん]
ジャケット ¥50,600/ユナイテッドアローズ&サンズ[03-5413-5102]シャツ(マービンポンティアック)¥49,500・パンツ(ホームレステイラー)¥53,900/オーバーリバー[http://overriver.com/]タイ ¥4,400・ユーズドの靴 ¥27,500/サファリ 2号店[03-3316-5766]サングラス(ハフマンス・アンド・ノイマイスター)¥69,410/コンティニュエ[03-3792-8978]その他/スタイリスト私物

ニワトリの置物(オマーサ)¥129,800/メイデンズショップ[03-5410-6686]

中西彩乃

中西彩乃

ライター

インタビューやヒューマンテーマを主に担当。海外ドラマ、東南アジア、セレブのゴシップ、占いをこよなく好む。

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