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自分の作った曲を普段聴きません。あたり前のような話ですが、でもよく考えると変な話だな、と。作っているとき、あれだけ自分の「好み」や「センス」を頼りに音色を選んだり、言葉を選んでこしらえたのにもかかわらず、いざ音源にして世に送り出したらそれっきり。あとはライヴで自分が歌うときに再会するぐらい。自身の音楽を聴く行為は「確認」としてがメインで、「鑑賞」としてはしません。だって例えば友人たちを家に招いてホームパーティする際にBGMでまさか「明日、また」や「ワタリドリ」を流し始めたら「え…」ってちょっと変な空気が流れるだろうな、とも思います。愛情と丹精を込めて作り、自信を持って世に送り出した曲だから本来は一番好きな曲であるはずなのに。ライヴではこれでもかというぐらいの気持ちで歌っているのに。自分の日常の時間に聴こうと思わない。そもそも持ち込もうという気がまず起きない。不思議ですよね。
昔とある服のデザイナーさんがインタビューで「なぜブランドを立ち上げたのか?」という質問に対して「本当に着たいと思う服がないから自分で作った」と答えていたのを読んだことがあります(もしかしたらメンズノンノかもしれないな)。とてもシンプルで潔い理由だなという感想を持ちました。「俺も自分が聴きたい音楽を作ろう」と志しましたが、結局自分はそこにあてはまらないままです。デビューして数年はそこに矛盾を感じることもありました。じゃあいったいなぜ自分は音楽を作るのだろう? と。
ここ最近ようやく答えみたいなものを見つけました。それは「制作側」と「受け取り側」が同時に共有できる瞬間が音楽にはあるからなのかもしれないな、と。つまりはライヴのことです。音楽は「作る」と「聴く」以外に「放出」する楽しみがある。つまりは演奏のことです。私なりの音楽に対する動機はこれなんじゃなかろうか? と気づき始めました。それからは気持ちが楽になりました。こんな感じで選択した仕事ひとつにもいろいろな楽しみ方、つき合い方があると思います。就職されて「なんか違うな」と思ったとしても少し角度を変えると好きになれるかもしれません。ご就職された皆様、本当におめでとうございます。
マイ腕時計
30歳手前になると男はいわゆる「ちょっといい腕時計」に男心をくすぐられると思うのですが、私はまったくと言っていいほど興味がありませんでした。それが少し変わったのが30歳過ぎてしばらくして。同級生の結婚式の第2期ピークが訪れた頃。同級生たちと雑談する中でやっぱりみんなスーツと同じぐらい腕時計にもこだわってることに気づきました。自分はどちらかというとスーツと靴のみに重きを置いていたのですが、ピシッとするときはトータルでこだわらないといけないな、とそのとき感じたのです。その頃から腕時計カタログをちょくちょく見始めました。「別に買う気はないけどさ〜」とか言いながら内心出会いを求めてくまなく探していました。ところがなかなか気に入るマイ腕時計が見つからず、途方に暮れていました。
そんなある日、その腕時計と出会いました。完全なるひと目ぼれでした。確か大みそかの仕事前だったのですが、店に即出向いて買いました。人生初のいわゆる「ちょっといい腕時計」。相棒を手に入れた感じがしてワクワクしました。途方もなくドキドキしました。それからどこに行くときも必ずつけています。傷もたくさんついたけど、それでいいやと思っています。その分やっぱり愛着が湧くし、ふと眺めるといろいろなことを思い出すし。それから何本か手にしましたが、この最初の腕時計は人生最後の最後まで共にすると思います。
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