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【オークラ インタビュー】ドラマの脚本も手がける、お笑いシーンをつくりあげた重要人物

【オークラ インタビュー】ドラマの脚本も手がける、お笑いシーンをつくりあげた重要人物

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幼い頃よりお笑いに情熱を注ぎ、大学在学中にお笑いコンビを結成し、デビューを果たすも、うまくいかずに放送作家となった。多くの才能あふれる芸人と出会い、バナナマンと東京03の単独公演は初期から現在に至るまで関わり続けるなど、間違いなく東京のお笑いシーンをつくりあげた最重要人物のひとりである。最近はドラマ『ドラゴン桜2』の脚本も手がけたりと、その活動範囲は幅広い。めざすのは、「さまざまなカルチャーが融合するコントライヴをつくりあげる」こと。そう語るこの人にインタビュー。

オークラさん

SCRIPTWRITER

1973年、群馬県出身。日本大学理工学部在学中にお笑いコンビ「細雪」を結成し、コンビ解散後は放送作家に転身。主な担当番組は『ゴッドタン』『バナナサンド』『バナナマンのバナナムーンGOLD』など多数。近年は日曜劇場『ドラゴン桜2』の脚本のほか、乃木坂46の「カップスター」Web CMの脚本・監督など、仕事が多岐に広がっている。現在、ポッドキャスト「オークラの質問のコメディ」がAmazonオーディブルにて配信中。


メンズノンノのスナップに載りたかった

――オークラさんは、放送作家として数々のコントライヴや番組を手がけ、現在の東京のお笑いシーンを語るうえで欠かすことのできない存在となっています。自身のこれまでの歩みをつづった自伝『自意識とコメディの日々』が大評判ですが、そもそもはどういうきっかけでお笑いが好きになっていったんですか?

僕は出身が群馬なので、特別にお笑いを意識していたというより、普通に『ドリフ』を観て、『ひょうきん族』を観て、とんねるずになって、ウッチャンナンチャンになって、ダウンタウンという、世の中のみんなと同じお笑いロードを通ってきました。ただ、人よりちょっとだけ夢中になって観ていたかなとは思います。学生時代、特に中学のときはヒエラルキーが高いほうじゃなかったので、みんながとんねるずとかのマネをしているときに、「俺のほうがもっと深くわかっているのにな」って思うことで自分が上になったような気になるというか、そうやって自分を納得させるための手段としてお笑いが好きになっていったというのはありますね。

――なるほど。きっかけはそういう感じだったんですね。

あと、僕、高校に入るときに1年浪人しているんですよ。それもあって、自分だけしか持てないアイデンティティをつくろうと思って、まず60年代、70年代の音楽を好きになったんです。そこからいろいろな音楽に興味を持つようになって、その流れでファッションが好きになって、そうすると同じ趣味の友達もできるじゃないですか。一緒に遊んでいるうちに友達から「お前の言ってることって何か面白いね」みたいなことを言われるようになって、そのあたりからお笑いというものを自分の中でも意識し始めたと思います。

――ファッションもその当時から好きだったんですね。

音楽が好きになると必然的にファッションにもつながっていくじゃないですか。高校のときの仲間のひとりにすごくおしゃれなやつがいて、それこそメンズノンノのストリートスナップにも載ったことがあるやつなんですけど、彼にいろいろ教えてもらって、毎日洋服屋に行ったりとかしてましたね。それで僕もメンズノンノに載りたくて、大学1年の夏休みにスナップが行われている会場にわざわざ出かけて撮ってもらったことがあるんですよ。1993年の夏だったと思います。そのときはキャスケットをかぶって、スケッチブックを抱えて、画家っぽい格好をして行ったんですけど、載りませんでした…。だから、今こうやってメンズノンノの取材を受けているのがうれしいんですよ(笑)。


お笑いこそがいちばん。そう思って芸人の道へ

――オークラさんは大学在学中に「細雪」というコンビを結成して、お笑い芸人になります。どうして芸人をめざすことになったのでしょうか?

これは僕の考えですけど、その時代の一番カリスマ性があった人がいるところに、その世代の才能は動くんですよ。僕らの世代は明らかにとんねるず、ダウンタウン、ウンナンがいるお笑いシーンが、他のシーンよりも影響があった。そして、ダウンタウンの松本さんが「全エンターテインメントの頂点に立つのがお笑いで、面白くないやつはセンスがない」みたいなことを言って、勉強もスポーツもできないけれど、自分には何かがあると思っていた承認欲求の強い若者の心に火をつけたんです。その結果、僕らの世代はお笑いに行くやつが多かったんじゃないかなと思います。僕もお笑いが一番かっこいいと思っていましたし、当時は自意識過剰で自分が一番面白いと思っていましたから、そこは割と自然な流れでしたね。

――ただ、芸人の道は諦めてしまいます。やはり芸人として売れるのは特別なことですか?

特別ですね。僕は芝居がヘタだったのでなおさらですが、それこそ同じことを言っても、この人が言うとはるかに面白く感じるっていうのがあるんですよね。まだ僕がコンビを組んでいるときに、仲よくなったバナナマンの日村さんに僕が書いた台本を読んでもらったことがあって。僕は自分の芝居がヘタだからコントがつまらないと思っていたんですけど、もしかしたら台本がつまらないから面白くないのかもしれないと思って、芝居の上手な日村さんにお願いして読んでもらったんです。そしたらめちゃくちゃ面白かった。僕の芝居がヘタだったからコントが面白くなかったんですね。

――そんなに面白さが変わってくるものなんですか。

もう圧倒的に違いますね。あと、アンタッチャブルのザキヤマって今はすごくイケイケですが、昔は引きキャラだったんです。僕も芸人時代は引きキャラを狙っていて、あるとき、ザキヤマと一緒に舞台に出たことがあって、ザキヤマは何か言うたびにウケる感じなんですよ。僕も答えのセンス的にはそんなに間違ってないはずなのに、ザキヤマのほうがウケている。当時はザキヤマも売れてなかったから、「こんな売れてもない、大してかっこよくもない男に負けるんだから、俺ってお笑いのセンスないんだな」とショックを受けて。ただ、その男が実はとんでもない天才だったんですけどね。

――もう少し芝居がうまかったら芸人として売れていたかもしれないって思いますか?

いや、それはどうなんですかね。そんなには甘くはないと思いますけど。ただ、今のほうがよかったとは思っています。やっぱり演者さんは背負うものが大きすぎるじゃないですか。自分自身を背負っていかなきゃいけないから、できないこともあると思うんですよ。お笑いが強すぎる人が真面目なラブソングは歌えないみたいな。どうしたって面白い人のイメージがついちゃってますからね。でも、僕の場合、別に真面目にラブソングの作詞もできる。芸人さんのほうが絶対ちやほやされるし、いいこともいっぱいあると思うんですけど、そうじゃないよさもあるなって。選び方次第で何者にでもなれるというか。だからこそ、個性がなくなっちゃうとよくないから、僕はコントにこだわるし、自分がこれまで影響を受けてきたたくさんのカルチャーが融合するコントライヴをつくりあげたいと思ってやっています。


これからもずっとコントはつくっていきたい

――笑いにこだわるのに、芸人ではなくて、作家を志したのはなぜなのでしょうか?

たぶん明確な目標があったからだと思います。さっきも言いましたけど、僕の場合、それはコントとカルチャーを融合させたいというもので、その目標というか夢があったのは大きかったですね。お笑いは好きですけど、お笑いだったら何でもいい、漫才でもコントでも何でもいいというのではなくて、これがしたいという目標がハッキリとあったので、途中で「あっちに行ったほうがよかったかな」と迷うこともなく続けてこられたんだと思います。あとはやっぱりめちゃくちゃすばらしい仲間たちに出会えたというのもありますね。その仲間たちと夢をある程度共有できたというのはすごく大きい気がします。

――今後やってみたいことって何かあるんですか?

やっぱりこれからもずっとコントはつくっていきたいですよね。それも、ひとつのプラットフォームだけじゃなくて、テレビとか舞台とかYouTubeとかラジオとか、自分が関わったものが全部つながっていくようなことをやれたら楽しいだろうなって思います。今までは「舞台で漫才が評価されました」「賞を取りました」「テレビで冠番組のレギュラーを持ちました」というのがゴールみたいに考えられていましたけど、今後は行き先がテレビとか賞だけではないし、テレビのような大きいメディアに巻き込まれずにやることを考えたら、ひとつのメディアで勝負しようとしないほうがいいんじゃないのかなと思っています。すべてがつながってどんどん広がっていくような、そんな仕組みをつくり出していきたいですね。

「自分が関わったものが
全部つながっていくようなことを
やれたら楽しいだろうなって」

――「さまざまなカルチャーとの融合」ですね。楽しみにしています!

今、僕が感じているのは、コントにお金を払う人が日本では少ないので、その土壌を若い人たちのためにもっとつくっていかなきゃいけないなということです。僕はたまたまバナナマンや東京03という才能ある人たちと出会うことができて、テレビとか舞台というものの中でこれまでやってこられましたけど、これからの世界はどんどん変わっていくと思うので、時代にあったやり方は考えていかないといけないなって。本当はコントが好きでやりたいけど、バラエティ番組に呼ばれて、やりたくもないのにお湯をぶっかけられて笑いを取ったりしている人たちもいるわけですよ。それがダメとも言わないですけど、コントが好き、お笑いが好き、カルチャーが好きという若い人たちが集まって何か面白いことができて、なおかつお金が生まれるような仕組みや方法をつくって渡してあげられたらいいなと思っています。


『自意識とコメディの日々』

オークラ[著]
¥1,760/太田出版

バナナマン、東京03、おぎやはぎ、ラーメンズ…。新たな才能と出会い、東京のお笑いシーンを変えてきた放送作家、オークラの青春譚(たん)。

 

Photos:Kyouhei Yamamoto Composition & Text:Masayuki Sawada

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