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デーモン・アルバーンのファッションからブラー史まで。語らせてくれ、俺たちの“blur愛”!

デーモン・アルバーンのファッションからブラー史まで。語らせてくれ、俺たちの“blur愛”!

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ブリットポップを牽引した3組のバンドにフォーカス。2025年の今、取り入れるならどんなエッセンスが必要なのだろうか。スタイリスト松川総が考えるアイコン像とは?

 

Icon 2
Damon Albarn

アートスクール学生風に
クラシックを自分流にアレンジ

栄莉弥

「ブラーのデーモン・アルバーンといえばスポーツジャージの印象が強いのですが、それだとそのまんますぎますよね。彼はその甘いルックスで当時はアイドル的な人気もあったと思うのですが、あえてクラシカルなスイングトップを好んで着ていたのが意外で。オーセンティックなアイテムのイメージがありますが、実はパッとはおってスタイリングが決まるブルゾンだからいつの時代も愛されています。Tシャツもデニムもデーモンらしくジャストサイズで合わせたらフレッシュなバランスになりますよ」(松川総さん)。ヴィンテージのTシャツやスニーカーに少しナードな色落ちデニムを合わせて文化系のスパイスをミックスしたい。

ブルゾン(バラクータ×ビームス プラス)¥55,000/ビームス プラス 原宿 ユーズドのTシャツ¥9,800/サファリ プラス パンツ¥24,200/アモーメント その他/スタイリスト私物

 

粉川しのがウォッチし続けた、blur史

PROFILE

音楽ライター、『rockin’on』元編集長

粉川しの

海外アーティストインタビュー、ライナーノーツ執筆を手がけるほか、『オアシス:ネブワース1996』の日本語版字幕監修も務める。

 


スポーティ×カジュアルな装いを極めたデーモン

スポーティ×カジュアルな装いを極めたデーモンといえばジャージ。タイトフィットなパンツを合わせることで、どことなくノーブルな佇まいに。

今、イギリスでは“ブリットポップサマー”と呼ばれている、ブリットポップ再評価の波がきていますよね。その原動力になっているのがオアシスだとしたら、シーン自体の記号性を象徴するバンドはブラーだと思うんです。ブリットポップって1994年から97年くらいまでの短い流行で、一般的には音楽ジャンルのことを指しますが、広い意味ではイギリス文化全般も含まれていました。例えば、映画『トレインスポッティング』が世界的に大ヒットしたり、“ヤングブリティッシュアーティスト”と呼ばれるモダンアートの作家が台頭したり、モード界ではアレキサンダー・マックイーンが出てきたりと、全方位的に盛り上がっていたんです。

コンパクトなスイングトップに、くたびれたヴィンテージTシャツの組み合わせのデーモン

コンパクトなスイングトップに、くたびれたヴィンテージTシャツの組み合わせも彼らしい。

この少し前にアメリカではグランジが最盛期。ネルシャツにデニム、洗っていない髪に野球帽をかぶったような、アンチファッションであることがいいとされていました。『SELECT』という雑誌のブリットポップ特集は93年で、スウェードを表紙に起用し、キャッチコピーは“ヤンクス、ゴーホーム”。「イギリス人はネルシャツを着てはいけない。髪の毛も切ったほうがいい。私たちはビートルズを生んだ国なのだから」というようなリード文までついていたぐらい。


キッチュなビーズネックレスを合わせたスタイル

鮮やかなカラーパレットのアイテムに、彼のトレードマークともいえるキッチュなビーズネックレスを合わせたスタイル。

ブリットポップとは60、70年代のようにファッションとしても格好よくてユースカルチャーに強い英国を取り戻そうという、文化再構築のムーブメントでもあったのです。政治的にも保守党政権に代わって若いリーダーのトニー・ブレア率いる労働党が新しい幕を開けようとしているタイミングでしたし、苦しんでいた労働者階級の若者も、もう一度自分の国に希望が持てるかもしれないという空気があったのだと思います。

アレキサンダー・マックイーン97-98年秋冬クチュールコレクションより

アレキサンダー・マックイーン97-98年秋冬クチュールコレクションより。

ブラーはグランジ最盛期の92年にアメリカツアーで大コケし、トラウマを抱えてイギリスに戻ってきます。そこでグランジへのカウンターとして作ったのが93年の『モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ』。そして翌年の『パークライフ』がブリットポップの号令となります。彼らの「ガールズ&ボーイズ」のMVがテレビ番組で流れた瞬間、暗いグランジの世界から、一転してカラフルでポップになったことは今でも覚えています。彼らの音楽って根本にはザ・キンクスやデヴィッド・ボウイ、バート・バカラックなど非常に多彩な文化の集合体としてポップミュージックを作っていたんです。


『SELECT』1993年4月号

“ヤンクス、ゴーホーム”という言葉とともに、ブリットポップカルチャーを特集した『SELECT』1993年4月号。カバーはスウェードのブレット・アンダーソン。

時代のアイコンとして活躍したブラーですが、1997年の『blur』というアルバムでもう一回アメリカのオルタナティブに挑戦して、誰よりも早くブリットポップから抜け出したのも印象的。「Song 2」という曲はCMやサッカーの試合でもかかっていましたし、アメリカでもヒットしました。アルバムごとにファッションもイメージも変えていたし、戦略的な部分も含めてこのバンドの面白さなんだと思います。その後、2000年代に入るとデーモンはヒップホップを取り入れたり、ゴリラズという覆面プロジェクトを発足したりと、モダンポップミュージック史において重要人物であり続けています。

バーチャルバンドのゴリラズ

ライブツアーや展示、フォートナイトとのコラボで話題のバーチャルバンド、ゴリラズ。来年にはアルバム『The Mountain』をリリース予定。

ブラーがアイコニックだった理由にヴォーカル、デーモン・アルバーンのファッションも挙げられます。初期はサイケデリックなスタイルを好んでいた彼は、93年になるといきなりフレッドペリーのポロシャツに、ノンウォッシュのデニムをロールアップ、ドクターマーチンの8ホールブーツを履いて現れたんです。60年代モッズや70年代スカなど、英国音楽カルチャーのスタイルを自分たち流にミックスしたようなファッションが新鮮で、当時日本の大学生だった私の周りでも男子がマネしていたのが印象的でした。


ダニー・ボイル監督作『トレインスポッティング』(96年)

ダニー・ボイル監督作『トレインスポッティング』(96年)。

デーモンはフィラやアディダスのジャージも愛用していましたが、スポーツジャージがファッションになるというのもこの時期から。イギリス人とサッカーは切っても切れない関係があるので、どこのチームを応援するかで身につけるスポーツブランドが決まってくるんです。特に日本では、90年代初頭にJリーグが開幕したこともあり、海外サッカーにも詳しくなって、その事情が理解できるようになったのも大きいと思います。

94年に誕生した『パークライフ』

ニルヴァーナ率いるUSのグランジ旋風へのカウンターとして94年に誕生した『パークライフ』。色鮮やかでポップなMVが印象的な「ガールズ&ボーイズ」もこのアルバムに収録!

 

Mick Hutson・Dave Benett・Steve Pyke・CANOVAS Alvaro・Andrew Benge/getty images Mary Evans Picture Library/アフロ

Photos:Tatsunari Kawazu Hair&Make-up:Mirai Uejo  Stylist:So Matsukawa Models:Eriya [MEN’S NON-NO model] Text:Michino Ogura

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