すぴんおふ連載 磯部磯兵衛物語

第十九話 〜アロハは和と洋の二刀流ぞ!〜

 

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アロハシャツって何で候?

 トロピカルなモチーフの半袖開衿シャツ、夏の定番でもあるアロハシャツにはマニアも多く、ヴィンテージのカルチャーが奥深いアイテムだ。

 ヴィンテージのアロハシャツに和柄が存在することから、移民としてハワイに渡った日本人が着物をシャツに仕立て直して生まれたという通説だったが、現在はアジアからの移民がハワイの土産ものとして売り始めた説が有力。1936年にエラリー・チャンが「アロハシャツ」を商標登録したため生みの親とされてきたが、35年にはすでにホノルルの日系洋品店「ムサシヤ・ショーテン」で販売されていたという事実もある。

 アロハシャツは、ハワイが観光地としてアメリカで人気になったことにより大きく発展。第二次大戦後は旅行者が急増、土産ものとしての需要が増えて本土からもアロハシャツ産業に進出する衣料メーカーが登場。ハワイの風物や風景を落とし込んだ柄が一般的になり、主流となっているアロハシャツのスタイルが確立される。

 50年代にはオリンピック競泳の金メダリスト、デューク・カハナモクがハワイの広告塔として各地を回り、アロハシャツの魅力を世界に発信。映画でもエルヴィス・プレスリーをはじめ多くのスターがアロハシャツを纏い、人気を後押しした。

 60年代はアイビーブームがハワイにも飛び火。レイン・マックロウが「レインスプーナー」を立ち上げ、アロハシャツの裏生地をボタンダウンに採用し“太平洋のブルックスブラザーズ”と呼ばれて大ヒットさせる。オフィスやレストラン、式典や冠婚葬祭で男性の正装として着用が許されるようになったのも60年代。アロハシャツが一大産業になった40年代以降の官民による「アロハウィーク」などのキャンペーンの成果でもある。

 日本では70~80年代のサーファーブームで「レインスプーナー」の裏地アロハが大流行。90年代の渋カジではヴィンテージアロハが脚光を浴び、90年代中盤からは精密なレプリカも増加。以後もセレクトショップでは定番としてラインナップされてきたが、リゾートやリラックス感のあるファッションが好まれる昨今、エコロジカルなムーブメントとも結びつき今年の再ブレイクが兆しだ。NIGO氏が手がける「ヒューマンメイド」からは、幻の和柄として珍重される“百虎”モチーフのアロハシャツが登場!

ヴィンテージアロハの基礎知識

素材 アロハの世界では1930〜50年代ものがヴィンテージ。30年代は現存数が希少なシルクとコットンが主流で、40〜50年代はレーヨンが黄金期。60年代以降は安価で発色のいいポリエステルが台頭。ゆえにヴィンテージは基本、レーヨン素材となる。

パターン 黎明期はオールオーバーパターン(総柄)、40年代後期は縦方向に柄が連なるボーダーパターンが登場。50年代にかけては上下の区別がある大柄を配置するホリゾンタルパターン、背中に一枚絵のような柄が入るバックパネルパターン、網点を重ね刷りして写真プリントのように仕上げたピクチャープリントなど、バリエーション増。

プリント方法 抜染とオーバープリントの二種類。抜染は生地を地染めして、柄部分の色を抜くと同時に染めつける方法。鮮やかで隣り合う色がにじまないのが特徴だが色数は制限される。オーバープリントは淡い地色に濃い色を重ねて刷り上げる手法で、色数が多くグラデーションが美しい。

ボタン ココナッツ、竹、貝、アクリル樹脂、尿素など素材は多彩。ボタンだけでヴィンテージアロハの価値は決められないが、ハワイメーカーの洋柄は主にココナッツ。30年代初期の和柄やシルク素材の高級シャツには貝、50年前後の和柄や木綿素材には竹ボタンが多く見られる。50年代中頃からは模様入りの金属ボタンも使われた。

磯部流「アロハシャツ」スタイル

「拙者が街でアロハを着るならこんな感じでござる。女子にも好かれそうな花柄を、ジーンズではなくスラックス風ワイドパンツにタックインして都会的に。サンダルはスポーツサンダルよりもナイロンテープ素材の甲を覆うデザインがおしゃれ。流行のガチャベルト垂らしも、さらっと!」

漫画:仲間りょう Text:Hisami Kotakemori
参考文献:『定本 ハワイアンシャツ』(ワールドフォトプレス) 『ビンテージ・アロハのすべて』(徳間書店) 『ヴィンテージアロハシャツ』(枻出版社)

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