「定食屋談議」 | 洋平’sノンノ | MEN'S NON-NO WEB | メンズノンノ ウェブ

洋平’sノンノ

2019年 4月号

「定食屋談議」

 さて、ツアーも前半戦は終了した。全国各地回って思ったが、新潟と金沢は飯が死ぬほどうまい。特に金沢で食べた「のどぐろ」が絶品だった。優勝。
 
 さて、以前からよく言っているが、定食屋が好きである。ツアー中、まずホテルの近くにある定食屋を探す。味のクオリティはもちろん高いほうがいいが、雰囲気も大事だ。地元民のみぞ知る大衆的な店。路地裏とかに古めかしい看板を構えていたりすると俄然テンションが上がる。発掘した気分にもなれるからね。食事によって次の日のテンションが変動するのでとても重要だ。

 ひとりで食べるというのも重要だ。何とも寂しいロックバンドマンだなこいつ、と思うことなかれ。飲んだり食べたりしながらしゃべるというのは喉に結構な負担がかかるのだ。なので喉の温存のためにライヴ前日はひとり飯が基本である。そのほうが店から漂ってくる雰囲気さえも味わうことができる。地元の会社員の皆さんやおじちゃんおばちゃんのたわいもない会話。プチひとり旅気分さえも味わえる。集中力が高まる。ベッドよりも考えがまとまるのは頭部を動かしているからか。店員さんや他の客からしてみれば派手な金髪の兄ちゃんが黙々と焼き魚定食を食べている姿は異様かもしれないが。

 そんな定食屋はたいていテレビがついている。普段あまりテレビを観ない私もそのときはふと観てしまう。いろんな番組が流れているなか、最近印象に残ったのは、躾と虐待の線引きについての話題だ。

 あるときふと、ひとりの方が話していた「飲食店で見た、娘に虐待をする母親」の話を思い出した。詳細はうろ覚えだが、だだをこねている娘に対して、母親が腕を引っぱったりしていたといった内容だった。同じ「虐待」という言葉だが、この話を思い出して私はなんとも言えない気持ちになった。

 というのも、私も自分の親にはそれくらいのことはされた覚えがあるからだ。アザができるほどの鉄拳をくらったこともあるし、蹴られたこともある。父はとても厳しく、私が何か悪さをすると烈火のごとく叱った。しかしながら、私はそれを虐待だとは思っていないし、恨んでもいない。悪いことをしたらそれくらい叱られるのは当然だと思っていた。小学生の頃は先生にもよく叩かれた。悪さをするとチョークが飛んでくることもあった。でもその先生のことは大好きだった。それは父からも先生からも子どもなりに愛を感じていたからなんだと思う。何か起きたとき、それ以上の勢いで守ってくれたからね。

 おそらく今の時代、こういう父や先生は議論の対象になるだろう。でもいいか悪いかの話ではなく、事実そうだったのだ。同じ体罰でも「躾」になるか「虐待」になるか。その境目の見極めは非常に難しい。でもじゃあ例えば、将来私が結婚して、子どもが生まれたときにどうするか。おそらくそのときの、その時代に合わせることになるのだろうと思う。というのも私が受けてきた躾をそのままその子にするのはその子にとってフェアじゃないからだ。しかし同じぐらいの勢いで、気持ちをもってして叱るとは思う。いい人生を送ってほしいからこの子を正すんだ、とどの親も持っているはずの気持ちが私にも芽生えているだろうから。そしてその躾の中身である「気持ち」に関しては時代や制度は関係ないはずなんだと思う。

 そんなことをその日は塩サバ定食を食べながら考えていた。

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