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「役者を続けるかどうかはわからない」俳優・大谷亮平、後悔ばかりの人生を経てたどり着いた答え【ロングインタビュー/後編】

「役者を続けるかどうかはわからない」俳優・大谷亮平、後悔ばかりの人生を経てたどり着いた答え【ロングインタビュー/後編】

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韓国からの“逆輸入俳優”として注目を集めた日本でのドラマデビューからわずか5年で、20作以上のドラマに出演してきた大谷亮平さん。韓国に移住するまでのいきさつを語ってくれた前編に続く後編は、移住後の活動から。とにかく楽しかったという韓国での生活から、役者として感じた限界、日本での再スタートまでを振り返りながら、それらの経験で得た学びと後悔を語ってくれた。

  

渡韓して2年後にドラマデビュー。
初めての役は日本人留学生・リョウヘイ

韓国に拠点を移し、CMやファッション撮影などで大活躍。華々しいスタートを切るも、『ダンキンドーナツ』のCM効果は2年ほどで落ち着いたという。

「渡韓直後は何でもできる! と思えるくらいの勢いがあったけど、2年もすると徐々に収まりましたね。そのときの僕はというと、“そんなにうまくいくわけないか”という感じで、さほど気にしていませんでした。そんなことどうでもいいくらいに生活が楽しかったんですよ。韓国語を話せるようになってからはいっそう。仕事なんてどうでもいいや、と思ったほどです(笑)。

でもありがたいことに、今度はドラマのオファーをいただいたんです。デビュー作の『ソウルメイト』では、なんと僕をあて書きしてくれて。日本から来たモデルのリョウヘイという僕そのものの役だったので、難なく演じられました。

よく『外国語で演じるのは難しかった?』と聞かれるけど、僕にとってはそれがスタートだから比べる対象がなかった。むしろ帰国後、日本で初めて芝居をしたときのほうがよっぽど大変でしたね。日本語でセリフを言うことに慣れていないから、感情の込め方がわからなくて。母国語なのに片言になるという不思議な現象が起きました(笑)」

  


物語の中心人物を演じたい!
役者として生きるために帰国を決意

その後も着々と、役者としてのキャリアを重ねていった大谷さん。芝居の楽しさが増す一方で、演じられる役が限られることによるもどかしさが募っていく。

「日常生活に困らない程度には韓国語を話せましたが、ネイティブと同じレベルではないし、うまく発音できない単語もたくさんあった。だから、どうしてもセリフが少ない役や外国人役に偏るんです。連続ドラマの主演に言語が流ちょうじゃない外国人を使わないのは当然だし、納得はしていたけど……やっぱり歯がゆさがあった。

物語の中心人物になれないことが続くにつれて、モチベーションを維持するのが難しくなったんです。認知度は上がってもこの悩みは一生つきまとうんだろうな、と気づき、帰国という選択肢を考えるように。

同時期、今の事務所の方が韓国で活動する僕に興味を示してくださって、2015年に釜山(プサン)で行われた国際映画祭で挨拶をしました。韓国での生活自体は相変わらず楽しかったから、名残惜しい気持ちはあったけど、役者として成長するために日本へ帰る決意をしました」

  


外国人のハンデを失い無力に。
デビュー作で芝居力のなさに自らあ然

そうして2016年、35歳のときに帰国。『ラヴソング』(2016年4~6月放送)で日本のドラマデビューを果たす。

「韓国では日本人の役を演じることが多かったのですが、監督をはじめ、スタッフは誰も日本語がわからないじゃないですか。だから僕がセリフを言うシーンに関しては、NGの判断は僕に委ねられていて。“ちょっとかんだけど監督からOKって言われたしな……”みたいなことがちょくちょくあったんです(笑)。

外国人だから韓国語がおかしくてもOK、誰もわからないから日本語がおかしくてもOK。でも日本では当然、そういったハンデが一切ない。セリフひとつひとつの重さに初めて気づき、役者としての甘さに気づきました。

案の定、『ラヴソング』の自分は棒読みもいいところ。でもありがたいことに、その後も『逃げるは恥だが役に立つ』など様々な作品に起用していただいて。徐々に慣れていき、やっとつかめてきたかな、と感じられたのは『奪い愛、冬』(2017年1~3月放送)を終えたくらいですね」

  


感情を揺さぶられる瞬間が
役者として何よりもの快感!

日本で再スタートを切って間もなく“逆輸入俳優”というキャッチフレーズとともに大注目を集め、人生で2度目のブレイクを果たした大谷さん。役者として17年目に突入した今、大切にしていることとは?

「これは誰にでも、どの業界でも通ずるものだと思いますが、本気で取り組めば取り組むほど感情を揺さぶられるものがあります。僕の場合はワンシーンを撮影中に感じることもあるし、ひとつの作品を終えた瞬間のこともある。きちんと取り組んだ結果として訪れるその感覚が好きで、モチベーションにつながっています。

大学4年間で残るものがなかった教訓もあるからなおさら、日々、ひとつひとつのことに情熱を注ぐよう意識していますね。どう取り組めば自分にとってためになるか、より自分の記憶に深く刻まれるか。それらを考えるようになってから、自然と現場での振る舞いや、役に対する向き合い方が変わった気がします」

  


あのとき、挑戦していたら?
後悔から学んだ“勇気”の大切さ

言語もわからない、友達もいない国へ移住。モデル業に収まらず役者の道を切り開くなど、圧倒的な決断力と行動力で成功を手にした。そんな20代を語り終えて口にしたのは、「安全な道ばかり選択せずに、もっと失敗して恥をかくべきだった」という後悔。はたから見れば、十分すぎるほどに挑戦しているが……。

「そう感じるのは、渡韓のインパクトがでかいからじゃないかな。でも僕が失敗を恐れずに行動したのって、人生であのとき限りなんですよ。それ以外、特にプライベートでは、やらずに後悔したことだらけ。

試験に落ちた、告白して振られたとか、その瞬間は100%ネガティブに感じる経験も、それを乗り越えるなかでいずれは必ずプラスになる。一方で僕みたいに失敗を回避して安全パイを取ってしまうと、あのときに挑戦しておけばよかった、挑戦したらどうなっていたんだろう、という後悔が一生つきまとうんです。

きちんと恥をかいたり傷ついてきた人って、やっぱり強いんですよ。経験に勝るものはないと気づいて、“まだ遅くない、これから挑戦すればいい”って自分に言い聞かせてきたけど……性格ってなかなか変えられないですよね。やればよかった! っていう経験は着々と増え続けていて、数え切れない。

例えば、ドロップキックをかまされた部活の顧問に反撃すればよかった! とか。やったところで、こてんぱんに怒られて終わるんですけど(笑)。大事なのは、勇気を出すことなんです。勇気を出して行動しないと自分の殻は破れないから……若い頃から少しずつ勇気を出す術を学んでおけば、人生違っただろうなって。いや、まだまだこれからだった!(笑)」

  


韓国と日本それぞれのよさを
学べたことは、人生の宝!

昔は他人のアドバイスを一切受け入れなかったものの、もしかなうならば、20代の自分に伝えたいことが2つあるという。

「ソウル以外の都市に住め、というのがひとつ。台湾の台北に2か月ほど滞在したことがあるのですが、すごくいい街で。もっといろんな国に住めばより成長できたと思うと、少し後悔が残ります。ネガティブな感情はないですよ! それだけソウルでの暮らしが充実していたということです。

海外暮らしを経験してよかったのは、月並みですが、視野が広がったこと。渡韓してすぐの頃は文化の違いにストレスを感じたこともあったけど、すっかり慣れたら帰国後、日本でも同じようにストレスを感じたんです。それぞれの文化にいいところがあって、どちらが絶対にいいも悪いもない。それぞれのいい文化を取り入れられたことは、確実に自分の強みになっていると感じます。

もうひとつは、しつこいけど、やるかやらないかで迷ったら絶対にやれ! ですね。命の危険や大きなケガをする可能性がない限り、すべて! アドバイスは嫌いと言っておいてなんだけど(笑)、将来に迷っている人こそ、これを実践してほしい。初めから深く掘り下げようとせずに、軽い気持ちで触れるだけでいいと思うんです。その小さな体験の積み重ねで、将来の選択肢がぐんと広がるはず」


道を外れたら不幸せになるなんて
方程式はない。僕が実証しています!

現在41歳、人生で得た学びや失敗をムダにしないためにも定期的に振り返ることを心がけているとか。最後に今後の目標を聞くと、「役者を続けるかどうかはわからない」という衝撃発言が!

「目標というか、生きるうえでのテーマに“人生を豊かにすること”を掲げています。仕事はもちろん、人間関係や私生活も。幸せな人生ってなんだろう? と考えたときに出た答えがこれなんですよ。経験不足を悔やむ心の表れなのかもしれませんね。

ひとつのことを継続して極めることを美徳とする文化、あるじゃないですか。でも実際にバレーや役者を追求してきた結果、もっといろんなことを経験したかったなと思った。ないものねだりかもしれないけど……それは浅く広い生き方を経験せずには、わからないので。

僕は今ミュージカルに挑戦しているけど、将来続けるかどうかはわからない。極論を言うと、役者だってそう。今一番したいことだから続けているだけで、バレーのように、情熱が冷める可能性は大いにありますから。ただし不幸せになっていないどころか、そのおかげで最高に楽しい経験ができた。生き方はひとつじゃない。そういうスタンスでやりたいことができるって、究極の幸せだと思うんです」

  

大谷亮平

おおたに・りょうへい●1980年10月1日生まれ、大阪府出身。大学卒業後、東京でモデルとして活動をスタート。2003年に放送された『ダンキンドーナツ』のCMへの出演をきっかけに、韓国でブレイク。2004年に拠点を韓国に移し、2006年に『ソウルメイト』で俳優デビュー。数多くのドラマや映画に出演する。2016年に帰国し、同年『ラヴソング』で日本のドラマデビューを果たす。『逃げるは恥だが役に立つ』(2016年)、『奪い愛、冬』(2017年)などで注目を集め、わずか5年で20作以上のドラマに出演。2020年、舞台初出演を果たした『ボディガード』の公演が2022年1月より再演する(1月21〜31日:梅田芸術劇場、2月8〜19日:東京国際フォーラム)。

ニット(ユーゲン)¥74,800/イデアス[TEL:03-6869-4279] シャツ¥22,000/トゥモローランド[TEL:0120-983-522] パンツ(セラー ドアー)¥38,500/アントリム[TEL:03-5466-1662] 靴¥77,000/パラブーツ青山店[TEL:03-5766-6688]

Photos:Teppei Hoshida Hair & Make-up:Ryo  Stylist:Masashi Sho Composition & Text:Ayano Nakanishi

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大谷亮平ロングインタビュー

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最終更新日 :

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