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中村憲剛インタビュー「最後には望んでいた以上の自分になれた」

中村憲剛インタビュー「最後には望んでいた以上の自分になれた」

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川崎フロンターレひと筋18年。日本を代表するバンディエラが現役生活に別れを告げた。もともとは35歳でやめる予定だったが、いざその年齢になってみるとまだやれると思い、40歳まで全力でやってみようと思った。そこからの5年間はまさに神懸かり。こんなことがあるのかというほどドラマチックなものであった。「最後には望んでいた以上の自分になれた」。そう語る永遠のサッカー小僧にインタビュー。

中村憲剛さん

FORMER PROFESSIONAL
SOCCER PLAYER

1980年、東京都生まれ。小学1年生のときにサッカーを始める。2003年に川崎フロンターレに入団。入団当初はミッドフィルダーだったが04年よりボランチへコンバート。以来、チームの攻守の要として活躍。06〜13年は日本代表としてW杯にも出場。16年にJリーグMVPを史上最年長で受賞。17年、18年の川崎フロンターレ連覇に貢献。19年、ルヴァン杯優勝。20年、J1最速優勝。21年、天皇杯初優勝を経て、現役引退。

引退したという実感はまだあまりない

――まずは18年間の現役生活、お疲れさまでした! あらためて今はどういう気持ちですか?

 天皇杯が終わってオフシーズンになってからサッカーはやってないですけど、そもそもオフシーズンは何もやらないですし、ありがたいことに今は取材とか収録があってあちこち動いているので、引退したんだなという感じはまだあまりないですね。ただ、いろいろなところに行って、そのたびに皆さんに「お疲れさまでした」と言われるので、そこで「あ、俺、引退したんだな」とは思います。あまり実感はないとはいえ、自分がもう選手ではないことははっきりと自覚しているので、なんかヘンな感じです。たぶんリーグが始まったときに引退したんだなってことをリアルに認識するんでしょうね。チームのみんなは動きだしたけど、自分は止まっているという現実をそのときにはっきりと感じるんだと思います。

――散々言われていると思いますが、35歳のときに40歳で引退することを決めて、そこからの5年間は本当に神懸かっていたと思います。2016年にJリーグMVPを史上最年長(36歳)で受賞し、17年にJ1初優勝、続く18年も連覇。しかし、19年に左膝前十字靭帯(じんたい)損傷の大ケガをしてしまい、どうなるかと思ったら見事復活し、20年はJ1最速優勝を飾ります。そして21年1月1日に天皇杯初優勝を果たし、現役引退。ものすごくドラマチックですよね!

 まぁ、ラストがラストなだけに、正直それは自分でも思いますね。できすぎだよなって(笑)。ただ、やっぱり何かがひとつでも欠けていたらこうはなっていないので、自分だけでなく、いろいろな人たちのいろいろな気持ちや行動が合わさってこういう展開になったんだろうなって思います。最後のスピーチのときにもちょっと言ったんですけど、自分の可能性にフタをしないという考えでずっとやってきて、ひたすら目の前のことをコツコツとやり続けた結果なので、その大切さを自分のキャリアを通じていろいろな人たちに見せられたのは本当によかったなと思います。


自分を知ることで、うまくなっていく

――「自分の可能性にフタをしない」ということであれば、40歳以降も現役を続ける選択肢はなかったのですか?

 なかったですね。言っても、40歳ですから(笑)。32歳とか33歳で引退というのが普通だったりする世界で、40歳までやること自体がけっこう異例なことですからね。自分がやりたくてもチームが契約してくれないとダメですし。だから、そこにどうやってたどり着くのかということは自分にとってもすごく大きなチャレンジでした。みんな「もっとできたでしょう」と言うけど、40歳という年齢でJ1のトップのほうに出続けるって簡単じゃないので、契約が決まって40歳までできるとなったときは「これで終われるんだ」と思いました。

――19年に大ケガをしたときは、39歳という年齢もありましたし、さすがにこのまま引退かなと思いましたか?

 いや、むしろあれで終わり方が決まりましたね。ケガを治して、活躍して、すげぇって言われて引退するっていう。ただ、次の年に引退することは決めていたから、順調に回復して復帰できたとしても、現役生活は残り5か月ぐらいしかないわけです。リハビリをちゃんとやらないとリミットがどんどん削られていくだけなので、超頑張りましたよ。終わり方を決めていなかったら、あそこまで頑張れなかったと思います。

©川崎フロンターレ

「もし来シーズンもやっていたら
こういう終わり方にはなっていない」

――ケガから復帰してあれだけのパフォーマンスができるのだから、まだまだ全然やれると思うんですけど。

 やれるか、やれないかで言ったら、まだやれると思います。けど、それだとまた違うんですよね。「できるでしょ」と言われて、その気になってもしもう1年やったらたぶんこういう終わり方にはなっていなくて、きっとひどい終わり方をしていたと思います。覚悟を決めたからこそ、密度の濃い時間を過ごすことができたし、ベストを尽くすことができた。結果、最後には望んでいた以上の自分になれました。

――40歳までトップ選手として活躍してきたわけですから、現役時代はかなりストイックな生活を送っていたんですか?

 いや、全然ストイックじゃないです。最初の頃は食事とかすごく気を使っていましたけど、食べたいのに食べられないことがストレスになっちゃって。これはよくないなと思って、ある程度は食べるようにしてからは調子も上向いていったので、やっぱりメンタルも大事だなと。だから、何々しなきゃいけないというのは極力ナシにしています。突き詰めるとどこかにひずみが生じるんですよ。ただ、これはあくまでも俺の場合であって、ストイックにやることが合う人もいます。要するに、自分を知るということなんですよね。自分を知れば何が足りないかがわかりますから。

――己を知ることが大事だと。

 そうです。なんでもかんでもやみくもにやればいいというものじゃなくて、どうすれば理想の自分に到達するかということをちゃんとわかっておくことが大事。もちろん、いきなりすべてがわかるわけじゃないから、若いうちはいろいろなことにチャレンジしていいと思います。いろいろ試してみて、自分にとってプラスなのかマイナスなのかを見極めて、プラスだったら取り入れる。そうやって自分を知ることで、どうやったらうまくなるかといったことがわかってきます。そういう意味では、変化を厭(いと)わないことも大事ですね。いいプレーだと思ったらどんどんやってみる。そうやってちょっとずついろいろなものを吸収して、合わないところは削って自分のものにしていく。俺はこうだからこれしかできないという選手はすぐに通用しなくなります。

――スランプはありましたか?

 スランプですか。なかったですね。たしかに調子悪いなというときもありますけど、それをなくすための努力を日々していました。自分をいい状態に保つのは当然として、自分が働きかけることで周りも変わるんですよ。そして、周りがよくなると自分もよくなる。とにかく停滞することがいちばんよくないので、そうならないように常にいろいろなことを考えて動くようにしていました。


将来の目標はフロンターレの監督!?

――選手としては引退しましたが、サッカーとの関わりはこれからも続いていきます。今後はやっぱり指導者の道をめざしていくのですか?

 そうですね。そこも選択肢のひとつとして考えています。でも、本当のことを言うとまだ何も決まっていないんですよ。ライセンスは取りにいくので、いずれは指導者の道に進むとは思うんですけど、それ以外に何か魅力的なものがあればそっちでもいいかなと今は考えています。

――そうなんですか! 選手としてフロンターレひと筋でやってきましたし、クラブの顔というべき存在なので、迷わずフロンターレの監督をめざしていくのだと思っていました。

 監督をやる大変さというのはこれまでにイヤというほど見てきていますからね(笑)。期待されていることはめちゃくちゃうれしいですけど、とんでもないプレッシャーじゃないですか、監督って。ヘンな話、フロンターレでずっとやってきて、選手としてそれなりの実績を残しているので、監督に就任するとなると期待値が高すぎちゃって、本当に大変だと思います。選手の場合、ちゃんとチームの利益になりさえすれば居続けられるけど、監督はひとりで責任を負うので、ダメだったらすぐに切られる。そうなったらフロンターレとおさらばしなきゃならないわけですよ。どんなチームでも常に勝ち続けることはできないですからね。ひとつのチームの監督を何十年もやったのはファーガソンとベンゲルぐらいで、それだってだいぶ昔の話だし、今の時代は難しい。有名な監督がクビにされる話はいくらでもあります。ずっと一緒にやってきて愛着のあるクラブとそんな形で別れないといけないのかと考えたら怖いんですよ(笑)。

――なるほど。それはプレッシャーですね。でも、サポーターはみんな、いつかはフロンターレの監督になってほしいと思っていますよ。

 もちろん、俺に期待してくれるという声もうれしいし、それに応えたいという気持ちもあります。だからといって、自分からそれになりたいと今は言えないです。もうなった後のことを勝手に考えちゃってますから。あんなにサポーターに応援してもらったのに、「なんだよ、使えねぇな!」とか言われるのマジでイヤなんですよ(笑)。とか言いながらも、その期待に応えるのも自分の使命なんだと思っているんですけどね。

――さすがです! その日が来るのを楽しみにしています!

衣装協力/ボリオリ、マロ(ともに三崎商事)

Photos:Takahiro Idenoshita Composition & Text:Masayuki Sawada

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